教誨師 きょうかいし

  • 2019.09.26 Thursday
  • 07:43

JUGEMテーマ:映画の感想

 

 

プロテスタントの牧師、佐伯保は、教誨師として月に2回拘置所を訪れ、一癖も二癖もある死刑囚と面会する。
無言を貫き、佐伯の問いにも一切応えようとしない鈴木。
気のよいヤクザの組長、吉田。
年老いたホームレス、進藤。
よくしゃベる関西出身の中年女性、野口。
面会にも来ない我が子を思い続ける気弱な小川。
そして自己中心的な若者、高宮。
佐伯は、彼らが自らの罪を悔い改めることで心安らかに“死”を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞き聖書の言葉を伝える。
少しずつ死刑囚の心にも変化が見られるものの、高宮だけは常に社会に対する不満をぶちまけ、佐伯に対しても一貫して攻撃的な態度をとり続ける。
死刑囚たちと真剣に向き合うことで、自分の人生とも向き合うようになる佐伯。そんな中、ついにある受刑者に死刑執行の命が下される…。(アマゾンより抜粋)


死刑を下されるということは、それだけ重い罪を犯したということです。
たとえ悔い改め、一生をかけて懺悔したとしても償い切れない罪。
被害者の心情と社会的な影響を考え、その人がこの社会に生きていてはいけないと、決断を下された。
とてもとても重い、罪。
罪を犯す人は自分の心にだけ向き合ってる人なのかなと、見ていて思いました。
自分が許せないと思うから。
自分が辛く悲しいから。
自分が怒りを抑えられないから。
自分は悪くない。悪いのは世間であり他人である。と。
つまり、ある意味とても正直なのです。
ただそこに、想像する力がなかった。
自分以外の人のこと。
未来の社会について。
自分を取り巻く人のこと。
そして、もっとも悲しいことは、学力がなかったこと。
特に、年老いた進藤という受刑者については、虚しさとやりきれなさを感じました。
受刑者の心に寄り添い、罪を悔い改めようとさせる行為は、時に残酷なことであるようにも思えます。
悔い改めた時はもう手遅れなのです。
とても重く深いテーマです。
そして、人が人を裁くということの難しさ。

『今までの人生で一度も間違ったことをしていないという者のみが、罪を犯した者に石を投げることが出来る』

とキリストが言われたそうですが、罰を下す側も試されていると感じます。

 

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